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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2011年03月08日

地域との繋がりを・・

華の幹の当面の活動は、

敷地内の整備(庭石や、植木などの整備、草刈)
母屋の掃除、修理、
土蔵の掃除、修理、
各、施設(水道、電気、トイレなど)の整備・・・。です。

やらなくてはならないこと、沢山。

でも、これらだけではないんです。
やはり、
地域との関わりはとても大切です。
周りの住民の方の理解がなければ、
なかなか上手くいかないでしょうし、
もしかして、
私たちの活動が、
なにか地域の活性に役立つときが来るかもしれません。

・・・というわけで、
小田地区の地域活性に尽くしていらっしゃる方に
お会いしてきました。
その方は、主に小田の宝篋山で活動されています。

筑波山ほど知られていませんが、
実は、ハイキング客には、
「筑波山より高尾山よりすばらしい」と言わせる山。
なんだそうです。
昔は山寺が沢山ある、
由緒ある山だったそうですが、
しばらく忘れられた場所になっていました。
が、最近(お会いした東郷さんがとても頑張られたのでしょうけど)
有志の方が山を整備したり、
ボランティアの方が掃除をしたり、
それに伴い、段々と環境が整い、
小田宝篋山休憩所というものもでき、

当初、数百人程度だった年間登山者は、
最近では3万人を越え、
どんどん増えているそうです。
しかも、特に広報などしていないのに、
”口コミのみで”・・・。
(それだけ魅力があるんでしょうね。
ジジは、昔、この山に
水晶を拾いに行ったんだそうです。
今は、その場所へはいけないそうですが。)

また、市の進める
小田城址の公園化もあり、
(4年後には公園が出来る予定だそうで)
小田ブレイク間近???

華の幹も、小田という場所なので、
(しかも小田城址のすぐ近く)
小田ブレイクとなれば、
影響は少しは受けるでしょうね。


ともあれ、
私たちは、早く、具体的な掃除を始めなくては。
古いお家の、
痛んだ部分が、
悲鳴を上げているのが見て取れます。


あ、ちなみに、
とっても立派な門がありましたが、
数年前、
風の全くない、夏の夜、
突然倒壊しました・・・・・。
で、今はごらんの、とりあえず門。
になってしまっています。


敷地内の枝垂桜が咲く頃には、
すこし、
作業が進んでいるかな。
  
Posted by hananoki at 15:05Comments(0)交流
華の幹(はなのき) 
このたびの活動の事業名です。

活動をするのに、
名前がないと不便なんです。
(助成金の申請もできない・・・)
いろいろ考えて出てきた名前です。

花咲き乱れて”華”やかで、賑やかな、
昔のあのお家を想い起こして・・・・。

この活動に参加してくれる人々全員が、
それぞれ生き生きとして、
一人ひとりが花咲き、
”華”のある輝いた人になるように・・・

そんな”華(花)”が沢山集まる大木の”幹”(大元)に
あの家がなるように・・・

大元(おおもと)・・・といえば、
幹の字は、
私とあの家を繋ぐ大切な存在、
祖母の名前、”幹(もと)”から頂きました。
(おばあちゃんがいなければ、
おばあちゃんのお世話をすることがなければ、
おばあちゃんからいろんな話を聞いていなければ、
あの家に、
こんなに愛着は持たなかったと思います)

おばあちゃん、
この活動を喜んでくれるかな。


※ 古民家に興味のある方で、
私たちの活動に興味のある方、
ボランティアとして協力してくださる方、
古民家再生の資金を募金してくださる方、
他問い合わせなどある方、
おられましたら、
以下までご連絡ください。
oda-hananoki@hotmail.co.jp
  
Posted by hananoki at 13:26Comments(0)

2011年03月08日

小田古民家の紹介


場所は、つくば市小田、
国の指定史跡である小田城址のすぐ近くにあります。

この家は、
明治40年に建てられたものです。

当時、とても力のある大きな家だったので、
使っている建材、
家の格式を表す各所の様式は、最高級です。
今では考えられないような太さの梁や、
鴨居が使われています。
この家(青木邸)は、
私の嫁ぎ先の家の祖母の実家になります。
祖母の弟夫婦が後を継いだのですが、
子がなく、
後を継ぐ人がいなくなってしまいました。
5年ほど前に、
おばさん(最後に残った青木家の人間)が、
脳梗塞で倒れ、病院施設へ入所したため、
空き家になって5年ほど・・・。
縁者のいないおばさんと、この家を面倒みることになった
うちの父母・・・(私の義理の両親)。
当時、もうボロボロで限界だった、
母屋と蔵の屋根はとりあえず直したそうです。
あと蔵の外壁も限界ということでサイディングを張りました。
(大金がかかってしまったそうです・・・)
でも、その後は、
自宅とちょっと離れた場所にあるこの家、
たまに手入れ(草刈や雨戸の修理)程度が関の山で、
ほぼ放置状態でした・・・。

構造的には、一部2階建て。
2階部分には、
お手伝いさんたちが寝泊りしたという部屋があります。
1階の部屋の一部は”釣り天井”なので、
その上には部屋はありません。
・・・2階の部屋・・・
はしごのような(いや、ほぼはしご)階段を登り、
上へ上がりますと、
昔は”煙だし”という屋根の上部三角部分に、
空いた箇所があったので、光が入ったんでしょうが、
雨も吹き込むということで、
今はそこをふさいであるので、
2階は真っ暗・・・。
(まだ電気を復活させていません)
本気で、昔話に出てきそうな雰囲気ある家ですんで、
2階の暗闇は迫力があります・・。
(しかも何かあるしー・・・・Σ(´д`;))
でも、勇気を出して、(でもほとんど階段から
カメラを持った腕だけ出して)撮影してみました。




お手伝いさんの部屋としても使ったし、
お蚕様の世話にも使ってた・・とのことで、
なんかお蚕様用のかごなどもまだ残っているようです。
字??が書かれた障子みたいなのも見えます。
上は梁がむき出しです。


ここを、これから、掃除掃除掃除です。



こちらは、同じ敷地内にある蔵です。
こちらは、明治2年に建てられたものです。
5年前に、父が屋根を直し、
周りをサイディングで保護したので、
中は、とても良い状態で保存されています。
外から見た感じでは、
サイディングがあるので、
感じないでしょうが、
中に入ると、圧巻です。
総2階建てなのですが、
2階で見れる梁は、
本当に一見の価値があると思います。
1階部分は、壁は木材で覆われて
(この様式もかなり裕福なお家でなければ
できない様式なんだそうです)
2階部分は、土壁がむき出しであります。

長い歴史を越えてきたこの蔵と家。
今は、誰も住んでいないし、
半分忘れ去られた場所・・・。
でも、本来のこの家は、
絶えず人が訪れるような賑やかな家だったそうです。
(敷地も現在は、少ししか残っていませんが、
当時は小田城城址の敷地の半分くらいは、
この家の敷地だったそうです。)
地域のお祭りなども、
この家の敷地で行われたそうです。

少しでも、
その賑やかな本来の家の姿を復活できるように、
これから少しずつ、
いろんな方々の協力を拝み、
進めて行こうと思います。

※ 古民家に興味のある方で、
私たちの活動に興味のある方、
ボランティアとして協力してくださる方、
古民家再生の資金を募金してくださる方、
他問い合わせなどある方、
おられましたら、
以下までご連絡ください。
oda-hananoki@hotmail.co.jp   
Posted by hananoki at 13:24Comments(0)古民家再生